俳優 串間保さん「一人芝居で世界をいく」

世界でご活躍中の俳優 串間保さん。
 
 
航空チケットと、忘れかけていた13歳の時の想いだけを持ってアメリカに渡り
呼ばれればどこでもと、ひとり芝居を続けている。
 
 
串間保さん作の一人芝居『木挽きのほほえみ』は
日本の古くからの自然と人間との共存をもった国造りを題材としており
2016年11月に出雲大社の遷宮を迎えた佐太神社さんへの奉納されました。
 
 
新しい生き方、流れるような生き方とは?
 
 
 
 
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どんなきっかけから、俳優を始められたのでしょうか?
 
 
宮崎から上京し、東京の大学に入って、先輩だった別所哲也さん(役者)のお芝居を観て面白そうだな、僕にも出きるんじゃないかなって思って。そして、大学2年生の秋に、もっと面白い世界に入ってみたいと、タレント養成所に入りました。
 
 
卒業間近の頃、2時間のTVドラマに出演することがあって、その時に、コント赤信号のリーダーの渡辺正行さん(お笑いタレント)の車にのせられて、この道のお話を受けたんです。その時は、卒業後に決めてよいかとお返事しました。大学の卒業論文と、タレント養成所の卒業公演があって、その公演では、シェイクスピアの主役を務めました。
 
 
で、その卒業公演の翌日に、渡辺正行さんから電話があって、「この人、本気だったんだ」と、もしかしたら、いまはもう忘れているかもしれませんが。(笑)なので、自分で役者をやりたいと、熱烈に思っていた訳でなくて、流れで役者になるんだろうなって、大学の後半はそう思っていました。
 
 
だから、本当に人のご縁なのですね。ご縁が重なって、今があるんだなぁ。
 
 
 
色々な捉え方があるとは思いますが、いま振り返って、その20年以上のご経験から、串間さんが一番得たと思うことは、どんなことですか?
 
 
必要とされていることへの、喜びですね。そう嬉しく思う自分がいますね。
 
 
ひとつ印象的だったのは、初めてニューヨークとロサンゼルスで「シベリア抑留」の話を、舞台でやったんです。ロサンゼルスで公演後、ジャージ姿で近くのスーパーに買い物に行ったんですね。その時の出来事なのですが、ひとりの日系の男性が寄って来られてこう話してくれたんです。
 
 
「車で4時間かけて、お芝居を観にいらした」と。
 
 
「実は自分の父親が、シベリア抑留されていた。日本に戻れず、そのままロサンゼルスに流れ着いて最近、その父親が一生を終えた」と。「父親は、やってきた事の多くは語たってくれなかったけど、なぜか、この芝居を観に来る気になった。」
 
 
「今日のお芝居を通して、シベリア抑留での様子を観た時に、父親はこういう生き方をしてきたのかって熱いものがこみ上げて来た。この気持ちを、誰に伝えましょうと思った時にたまたま歩いている(串間)をみた」。それで話を聴いてくださいって、声をかけてきたそうなんです。わざわざロサンゼルスまで、お芝居をしにきて、良かったなと思いました。
 
 
こういう経験があると、お役に立てたなって思いがありこれはやるべきことなんだろうなって、俳優の仕事も、ちょっと好きになりました。役があって、その為に努力するとういうこともあるのですが、僕はちょっと、競争意識がなくて、ぼーっとしているところがあって、役が指名してくると思っているんですよ。
 
 
 
役が、串間さんを選ぶという感じでしょうか?
 
 
なんかそう思っています。以前は、役を得るために頑張っていた頃もありますけど。こんなタイプだから、むちゃくちゃイケメンでも、むちゃくちゃ面白い事だけを追求してきた、という分けでもなくてそのまんまお芝居だけやってきた。今もそんな感じで続いて、やって来たんですけど、意識を変える事があって。
 
 
 
意識を変えるとは、どんなエピソードだったのでしょうか?
 
 
自分にしかできないことが分かって来ると、それに対しての責任感が生まれてくる。そう意識をし始めて、次は(配役)なんだろうなって想いを巡らせていると、ご縁のある役が来て。
 
 
 
「意識をしている」 それに近い役が、やってくるのでしょうか?
 
 
今年の春、ニューヨークに来る直前に、豊臣秀吉の役を頂いたんです。
 
 
直前だったので、迷ったんですが、実は、偶然にもその前に豊臣秀吉にまつわる土地土地を巡っていたり、あと、中国の革命家の役を頂いた時も、その1年前に、その革命家にまつわる場所にも、すでに行っていたりとか。ニューヨークで行った芝居では、主役を頂き、それは13歳から亡くなるまでの、一代を演じたのですが、子どもの頃に住んでいた場所とか、偶然ですけど全部訪れていたんですね。
 
 
 
まるで、導かれていたって感じですね。
 
 
そうです。それをやるために、日常をやっていたという感じですね(笑)。勿論、逆もあって頂いた役に関しては、ちゃんと準備はしますが、役が選んでくれたと、思うことが多いんです。 
 
 
先程の質問に戻りますが、意識が変わったエピソードとは、具体的にどんな事だったのでしょうか?
 
 
2009年4月、ニューヨークにて高峰譲吉(日本の科学者)の役をやったときに、全てが準備されて来ていると思う中である方にお誘いがありまして。国際連合(United Nations)の敷地内に日本庭園があって、そこに平和の鐘があるんですね。
 
 
是非、この鐘をつきにきてくださいと言われたんです。
 
 
 
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そこには、他の国々のモニュメントもあって、たまたまギリシャの「ノアの方舟」モニュメントを観たら、「何をしろというのだ!」、「俺に、何をしろというのだ!!」という言葉がずっと響いてきたんです。何も霊感とか、何かを感じるとかでないんですよ。ただ、その言葉がそれ以来ずっとあって。
 
 
そして今度は、北海道の稚内に行ったのですが、猛吹雪の中で、「坂の上の雲」という日露戦争のある兵士の話で、撮影で行って、そしたら、そこにも平和の鐘があったんです。「あっ、ここにも鐘?」と思い、その時も 「俺に、何をしろというのだ!!」って湧いて来たんです。湧いて来たというか、自問自答ってことですよね。
 
 
そんな経験をして、さらに2011年、東日本大震災が起きて盛岡にいる私の知人の方から連絡があって、「串間さん、ここには笑いが無い、なんとかして〜」と叫びのような電話を頂き。ボクらがやっているTV、舞台、映画、ネット配信など、全ては電気がなくなったら出来ないって。何となくあるのが、当たり前のようになっているものがなくなったらどうなっちゃうのということをあの時、経験したわけですよね。そんな中で、何が出来るのかって考えたとき俺たち何もできないけど、ロウソク一本あれば一人芝居が出来ると思った。それで、いつか一人芝居を書こうと思ったんです。
 
 
それが意識を変える、きっかけとなりました。
 
 
 
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自分に問いかける出来事があって、震災の経験もあって、自分がどうしていこうと考えたのですね。
 
 
そして、去年の2月にブロードウェイにいらっしゃいとお誘いしてくださったアメリカ在住のプロデューサーがいて、その方に、「串間さん、つまらない顔してい
よ」って言われたんです。いやいや、その頃も僕はTVも出させて頂いていると言ったんですけど、実は13歳の時に、初めてカルフォルニアの小さな町で、アメリカ人に混じって、ハリウッド映画を見た時に「うぉ〜、すげえな!」って思ったことを思い出して。みんなが元気になる様な、みんながドキドキ・ワクワクしてくるような、そんな仕事に携われるといいなって、思い出して。
 
 
よし、行こうと思ったんです。アメリカに行って、仕事があるわけじゃないんですけど行こうと決めたんです。(笑)
 
 
 
それが2015年のことなんですね。
 
 
同じ時期に、東京の世田谷で、たまたまある個展を見にいったんですね。その会場が、木材で出来た建物だったんですが、その中に足を踏み入れた瞬間僕の祖母が教えてくれていた宮崎の民謡の「日向木挽き歌」が頭の中で、鳴り響いていたんです。
 
 
あー、これで一人芝居を作るなって、なんか思ったんです。
 
 
 
へー!また湧いて来たんですね。
 
 
それで、すぐにブロードウェイに行こうときめたんですけど、周りに不幸があって、へたり込んだんですね。これまでお世話になってきた俳優の先輩達の愛川欽也さん、西本裕行さん、萩原流行さんが亡くなられて、その後、今井雅之さんも亡くなられて、本当にへこんでしまって、この世界から引きこもりたいって思ったんです。全てがショックだったんでしょうね。比較してはいけないんでしょうけど、彼らは、貫いてきたんだなって思った時に「お前は、それだけのことをやっている?」って突きつけられた気がしました。
 
 
そう思った電車の中で、泣き崩れそうになったときに、たまたま携帯電話で観たのが、伊勢神宮だったんです。折角だから、一人芝居を書き上げようと、伊勢に行って、3泊4日で、芝居が書き上がったんです。
 
 
 
凄いですね。3泊4日で?
 
 
それですぐに、ひとり上演会を始めちゃったんです。
 
 
自分にとって幸せって、なんだろうなってことを考えたり、見つめてもらったりする、お話なんです。回を重ねるうちに、このお芝居で、ニューヨーク行こうって思う様になりました。これは公私に関わらず、伝えなきゃいけないなと、思うようになったんです。
 
 
ただ、僕の性格では、「絶対、観てください」というものではないので、アメリカではご縁のある方、お付き合いがある方へ、いまは伝えているんです。色々な方の力をお借りしながら、私はただ、進むしかないと思ってニューヨークに来ちゃったんです。
 
 
 
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これまでの経験の中には、お話してくださったよりももっと、色々な心の動きもあって、ここまでいらしたと感じます。インタビューを始めるに辺り、新しい生き方を示して行きたいとおっしゃったと思いますが、串間さんの先輩達も歩まれたニューヨークで、これからどんなことをしていきたいと思いますか?
 
 
ニューヨークは、とてもユニークで、エネルギッシュな人が多くで、僕みたいのは、そこら中にいるんじゃないかなって思っています。アーティストとしてやって行くには、ビザが必要で、そういう現実がある中で、みんなも一生懸命やっているんですね。ただ、地球の変化の流れ、スピードを感じる中で、それよりも目の前にいるひと達に笑顔になってもらう。勿論、ブロードウェイという板の上に立つには、必要なプロセスなのですが、目の前のひと達が、なんか笑顔になっちゃう。そっちの方が、大事じゃないかなって思うんです。
 
 
 
なるほど。いま目の前の人達へということですね。
 
 
全体的に思うのは、社会や企業も同じですが固まっている。自分たちが、オラがうちだけは、オレんところの国だけはって、感じがする。わからないけど、いままでのやり方だと、みんな固まるだろうなって思う。
 
 
ただ、ハーモニーが良い様に流れていくことをしたいなって思う。
 
 
ただ単に役者をやって来たんだけど、本当は、こういうことがしたいんだなって思う。僕のことを、ちょっと面白いヤツだなって思う人が元気になっていく。そのために、動かされて行く気がします。
 
 
 
串間さん自身がアート、生きて行く場所場所で、「存在」していることが大事なのかなと感じます。そのような調和が出来れば、という感じなのでしょうか?
 
 
そうですね。ニューヨークに来て出会った人に「串間さんは、存在さんなんやね」と言われました。上手いこと言うなと思いました。(笑)本当は、ブロードウェイエリアにいって華々しい世界に触れているべきなんでしょうけど、でも普段は、ニューヨークの緑の中にいて、だからこそ、マンハッタンにいった時は、笛を吹いたりね。
 
 
ずっと吹きながら、町中を歩く訳ですよね。(笑)
 
 
すれ違う人達に「いいね!(ジェスチャー)」って、こういうことが許されている町が、ニューヨークなのかな。
 
 
 
海外では、人と違うということが、オープンですよね。
 
 
そういう意味では嬉しい町ですね。僕がすることで、みーんなが何かに気づいて、幸せな気持ちになってくれたらと思います。
 
 
 
私達はどうしても、「〜べき」、「〜なければ」という中にいる事が多い中で、その外側に出るのも大変。串間さんは、それをどのように感じますか?
 
 
淡々と、粛々とやって、一つの現象を、大変と思えば、大変だし、折角だから楽しくやっていこうと思えば、楽しくなってくる。同じ現象でも変わって来る。
行動して、気づくこと。
 
 
ビジョンのために、計画を練って、練って、準備して、準備してようやくやる人もいるだろうし、やっていくうちにこれをやるためにやってきたんだなと気づく人もいれば喜んでもらえる人に出会って、これだと思う人も。どう捉えるか、どう持って行くかは、自分で決めればいい。
 
 
僕は、来た玉を打って行く。そこから広がって行けばいいかなと思います。
 
 
 
世の中の流れを感じていると、おしゃっていましたが、これからどんな世の中を、創って行きたいなと思いますか?
 
 
出会う人、出会う人に、短い時間でも一緒に居て、笑顔になってもらえたら嬉しいです。そういうことを、ただ続けて行く。
 
 
なんで、そんなに幸せそうなんですか?なんで、あなたの周りには、とっても良い事が起きているんですか?なんで、いつも笑顔なんですか?と、聴かれた人がいて、実は、あの時出会った目の細い、「自称役者」という男(串間)がいて、急に笛を吹いたり、踊り出したり、何語かわらかない芝居をし始めたり、彼に出会って、凄く心地よかったから、だから、あーなれたらいいなって、自分の中でもやっているんだって。そう言ってくれる人に、出会えていけたらいいなって。そういう自分であることを信じて、そう思うひと達にでも出会えると信じて
 
 
 
13歳の時に、ハリウッド映画って「すげえな」って、思った自分に、フォーカスしていけばいいんだってそこだけ信じて、居場所が作られると思う。シンプルに、子どもの頃の純粋な気持ちを大事に。快楽ではなくて、自分がやりたいことをやることで、「有り難う」と言ってもらえる人がいる。あんたと話が出来て良かったとか、出会えて良かった〜と、思える人が出来る。そういうところを信じて行けば、道は開けると思う。しがみつくのではなく、シンプルに、シンプルにです。
 
 
 
それをいま感じていらっしゃるのですね。
 
 
最近、気づいたここ数日ですね。実は、遠回りしていた自分がいて、まだどっかに「こうあらねば」と思っている自分もいて、エアーチケットだけ手に、でも来てみたら色々な場所で、居候させて頂いて。
 
 
 
失礼ですが、計画なくニューヨークに来て、来てからの出逢いで、今いらっしゃるのですか?
 
 
Yes, Yes で来たら、上手く流れ来たんです。
 
 
 
その流れで、ご縁あって、ニューヨークのフェスティバルの舞台で光源氏を演じたんです。この経験からも、シンプルでいいんだと思う。子どもの頃に感じた「ドキドキ・ワクワク」でいいんだ。僕が「ドキドキ・ワクワク」していれば、みんなも「ドキドキ・ワクワク」するのかなって(笑)
 
 
そうしたら家にいらっしゃい、我が家にもって言って下さって、ご縁が繋がっているんです。
 
 
 
その先々で、歌を歌ったり(笑)お芝居をしたり?
 
 
ただ、お話を聴いているだけなんですよ。そして時々、歌ったり踊ったり(笑)。僕は、光や風だな。
 
 
そこに居て当たり前、存在さえも気づいてもらえなくてもいい。光や風のように、色々なところに出向いて、必要とされる所に出向いて行って、色々な人と触れ合いたいなって思います。
 
 

 
 
 
 

俳優 串間保さん
NHK大河ドラマ、「坂の上の雲 第3部」」、「八重の桜」」、「軍師官兵衛」」、連続テレビ小説「あまちゃん」、「花子とアン」」、TBS「三年B組金八先生ファイナル」などのドラマで活躍する。舞台では、「東京ギンガ堂公演 「SAMURAI高峰譲吉」」「孫文と梅屋庄吉」等、国内は勿論、ニューヨーク、中国、韓国など海外公演でもご活躍中。一人芝居『木挽きのほほえみ』は、日本の古くからの自然と人間との共存をもった国造りを題材としており、2016年11月に出雲大社の遷宮を迎えた佐太神社さんへの奉納されました。串間保さんのブログ:Kushima Letters~串間通信~keep-peaceloveshine:http://ameblo.jp/keep-peaceloveshine

 
 
 
 
 
 
 
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